2011.3.11といえば、一生忘れることのできない東日本大震災が思い浮かびますが、その時私は17歳の高校生で部活をしていました。(といっても私は日本の西側の地域に住んでいたのでありがたいことに全く影響はありませんでした。)
この記事では、東日本大震災の時に全く影響を受けていない私目線での体験や思ったことを書いていきます。
2011.3.11東日本大震災の時の私の実体験
当時高校生だった私の実体験をそのまま書いていきます。
部活帰りの出来事
2011.3.11。あの時私は春休みで部活の午前練習をしていました。練習が終わって少し寄り道して帰って昼15時頃に家に着き、いつも通り何気なくTVをつけると、そこには見たことのない光景が広がっていました。
とあるニュース番組のLIVE中継で、家の屋根の高さまで水が到達していて多くの家が流されていたのです。正直びっくりしたのですが「なんか時々起こる土砂崩れ的な感じなんかな?」というくらいにしか感じておらず、とりあえず別のチャンネルに替えました。すると、どのチャンネルに替えても同じようなニュースばかりで、「え、何!?どゆこと!?」と何が何だか分からないって状況でした。
とりあえずどのチャンネルに替えても一緒なのでずっとLIVE中継を見ていると、どうやら東北地方で大きな地震が起きてその地震によって津波が発生している。ということが分かってきました。そして急いで携帯で情報を確認してみると、宮城県で震度7の地震が発生した影響で津波が発生して大変なことになっているということがようやく理解できました。
とはいえ私にはどうしようもできないので、とりあえずテレビを消してご飯を食べてゲームをすることにしました。
東日本大震災発生2日目
2日目も朝起きてテレビをつけると朝からニュースで東北地震のことをやっていて、レスキュー隊の方が救助をしていたので「相当ヤバい大災害なんだなぁ」とそこで再認識しました。しかも影響があるのは東北だけでなくて関東にもあるということで、東京でも地割れができたり断水したりと大混乱。
それからずっと東北の震災に関するニュースをやっていたので、高校生ながらに「これは阪神淡路大震災並の歴史に残る大災害なんだな」と地震の恐ろしさを痛感しました。
そして私はその約一年後にとある地元企業に就職して震災復興に関わりますが、この話は次で書いていきます。
自分が震災復興の関係で東北に行くことになるとは...
私がとある地元企業に就職したのが、東日本大震災から約1年後の2012年4月のことで、研修が終わって配属されたのは現場監督の業務をするグループでした。それから1年目2年目と順調に仕事をこなしていき、4年目の時くらいに震災復興の案件に携わることとなりました。
簡単に言うと岩手県のとある場所で土砂を使って高台を作り、その上に家や病院を建てるといった計画のもので、私が直接携わったのはその土砂を運ぶコンベアに関係する仕事。いざ現場に行くと、まだ瓦礫が残っているところがあったり仮設住宅があったりと、凄く生々しい状況を人生で初めて自分の目で見た私は、「当時は高校生で、なんとなく大変なことが起きているなぁって感覚だったけど、これは大変ってもんじゃない。被災者は生きることで精一杯だろうし...。地元の方のために仕事を頑張ろう」と強く胸を打たれました。
それから2,3年掛けて震災復興の仕事を進めるようになるんですが、いろいろ問題はあったものの無事に完工し、私の役目を終えることができました。現地にちょこちょこ行ってる営業の方に高台があらかた出来ているところを写真で見せてもらうと、高台の上に病院を建設している途中の箇所があったり、家が建っていて人が住み始めているところもあったりと、「自分も役に立てたみたいで良かったなぁ」と安心しましたね。
そして、2,3年現場に居たのでいろいろな思い出ができたんですけど、その中でも私の一番の思い出は『現場近くにあった居酒屋でよく食べてたステーキ丼』です。確か1,100円くらいだったんですが、肉もちゃんと良い肉を使っているみたいでめちゃくちゃ美味くて、マジで美味しいから週1くらいのペースで食べてました。笑
そういった場面でもしっかり地元の方への貢献をしてきましたよ。笑
先輩に聞いた東日本大震災当時の茨城県での話
東日本大震災が発生した当時、A先輩が茨城県の火力発電所内での仕事をしていたみたいなんですが、発生した直後は数人と現場に居たらしくて「マジで焦った」って言ってました。
A先輩曰く、「地震から逃げるために急いで車に乗ってエンジンを掛けて出発すると、地割れが各所で起こり始めていてマジでヤバかったんだけど、なんとか地割れを避けながら避難したよ」ということでした。A先輩ってちょっとふわふわしてて天然系の人なんですけど、一緒に車に乗っていた数人の人達曰く「Aが覚醒してて、ハンドルさばきが神がかってた」ということでした。
人間本当にヤバい局面に出くわすと覚醒するのかもしれませんね。笑
また、同じく茨城県の火力発電所内での仕事をしていたB先輩は震災直後に家のトイレの水が出なくて流せなかったみたいなんですが、備蓄している水も無くてマジで困ってたらしいんです。「正直外で用を足そうかと思ったけど、何か嫌だしたまたま被害を受けなかったC先輩の家にまで借りに行ったよ」って言ってました。
備えること・緊急時の対応がすぐできることが大事
私は地震を含めた自然災害の被害を受けた経験がないので詳しくは分かりませんが、どうあがいても自然災害を発生させないというのは無理なので『備蓄をしっかりしておくこと』『どういった行動をすべきか知っておくこと』がめちゃくちゃ大事だなと思いました。
やはり知識があれば最低限必要な備蓄の準備ができ早めの行動ができて、早めの行動ができると自分の命を救えて人の命を救うことができる可能性もあります。